・タイトル
ガンダムSEED⑤ 終わらない明日へ
・点数92点(小説としての評価)
表現力☆☆☆☆☆
深み☆☆☆☆☆
芸術性☆☆☆☆☆
ストーリー性☆☆☆☆
読みやすさ☆☆☆☆
後藤リウ
三重県四日市市出身。愛知県名古屋市在住。
南山大学文学部国語学国文学科を卒業後、文筆の道に進みます。
2003年にノベライズ ガンダムSEEDでデビュー。
主な作品
オリジナル
イリーガル・テクニカ
ちょこプリ!
うしろシリーズ
夢守の姫巫女シリーズ
こっこ屋のお狐さま
ノベライズ
ガンダムSEED
ガンダムSEED DESTINY
ラメント
こばと。
貞子3D2―再誕
人間回収社シリーズ
・本の概要
亡きウズミの意思を継いだキラ
たちは、戦争を終わらせるべく宇宙へと飛び立った。当初、孤立無援とも思えた彼らであったが、その下には志を同じくする者たちが、陣営を越えて集い始める。
一方、再び核の力を手にした地球軍はコーディネーターを滅ぼすべく、プラントへの進軍を開始する。
迫る人類の終末をキラは、そしてアスランは食い止められるのか――
憎悪の連鎖を断ち切れ、ガンダム!!
・感想
ストーリー性については続編を匂わす終わり方なのでこれ単体で見た場合には完結しきれてないというだけの話で仕方のない評価だと思ってください。実際に続編があるのだから仕方がない……(悪いとは言っていない)
そういう意味では、「終わらない明日へ」ってすごくいいタイトルです。
ゲームとかでも使われてますね!終わらない明日へ
読みやすさについてはやはり最終局面ともなると、ガンダム特有の専門用語がちょっとネックかな?って思います。でも、これも仕方ない。
巻頭のカラー絵は桜舞う場所で幼さの残る無邪気な笑顔を見せるキラと切なそうにも困っているようにも見えるアスラン。
これは未来なのか、ifなのか……
巻頭の設定資料も相変わらず見やすいですが、初見だとおもいっきりネタバレなんだよなw案件が少々。
以下、商品リンクを挟んで内容に触れながらの感想なのでネタバレが嫌な方はご注意下さい。
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・感想
そうかー、ストライクルージュの性能はムウさんのストライクより向上してたのかー。
キラとカガリの関係性はやっぱりいいなー。
いつかとは逆に、泣いているカガリをキラがあやしている姿もグッと来ます。
あと、パトリックさんとシーゲルさんの関係も何とも言えない切なさがありますよね。
もしかしたらキラとアスランもこうなったかもしれない。
イザークとディアッカも……
そしてそんなイザーク。
意外にも温情に熱いのはこれまでの話でわかっていましたが、普通にラクスファンでラクスを信じてるっぽい?
その描写で色々納得しました。
十数年越しにパズルのピースが揃った感覚。
イザークは上官であるラウの言葉も100%は信じられず戸惑っている様子です。
ここでも人と人の絆を掻き乱すことになるフレイ。
まあ、ラウがイザークをどう思ってたかは知りませんが……
「しょせん人は自分の尺度でしか他者を計れず、それ以外の意志があろうことなど彼らには思いもよらない」
誰のセリフでもなく途中に導入されているこの文章……これはこの作品がどうとかを飛び越えて大事なことだと思います。
物事を自分の物差しでしか計らないから視野が狭くなったり、相互理解を拒む結果に繋がるんじゃないかなぁと。
まあ、それだけ難しいことなのですが……
アスランとパトリック、ザラ親子の決別のシーン。
これは大人になった今見ると、いろいろ思うところがあります。
子供であるアスランの意思。
父親に対する捨てきれない愛、そして希望。
届かない言葉、踏みにじられた想い、絶望。
親?であるパトリックの意思。
あらかじめプログラムされたコンピューターのように、自分の意思、思想に付き従い、何の迷いもなくサポートする為の存在。
『それ』の反抗。それはパトリックからしたらシステムエラーに他ならないものである。
別の作品にはなりますが、以前、子供は親の所有物ではないと書きました。
もちろんそうです。そこに例外はない。お互いが人間である限り
心情的には当然、アスラン寄りなのですが、パトリックのほうに寄り添って考えるとこれはこれで哀しいんですよね。
『コーディネーター』というのは遺伝子を操作して生まれた子供なので、あらかじめ親が『そういう風に意図していた』場合は、その限りではないのかもしれない。
パトリックの思想に寄り添うと、残念ですが、そう考えることも出来ます。
『人間』というのは『遺伝子レベル』で自らの危険を察知すると守るように無意識に身体が動くものですよね?
コーディネーターに第3世代が生まれにくいのはもしかしたら……
そう考えることも出来ます。哀しいけれど……各巻のPHASE0はそれを思わせる内容になってますもんね……
人類の夢を託された新人類であるコーディネーター。
だが、それは……決して人類が足を踏み入れてはいけない禁忌だったのかもしれない……
場面は変わり、アスランを助けてくれたのは『クライン派』としてラクスを支えてくれていたダコスタくん。
砂漠の虎の副官の彼です。
今度の上司?はラクス……彼はつくづく上司の無茶に振り回されるポジションのようだ(笑)
そして帰ってきた『あの男』
海賊のような面持ち……まあ、確かに。海賊というのはあの人に似合う響きです。
砂漠の海を駆け抜け、支配したその男が今度は宙の海へ……
ほぼ答え言ってますが、一応名前は伏せておきます。
『彼』はその能力とカリスマ性をパトリック・ザラに買われ、『パトリック政権の信頼回復の切り札』としてザフトの最新鋭の戦艦であるエターナルを任されます。
その『エターナル』にアスランが、そして『クライン派』のダコスタくんが乗るということは?
パトリックさん、ことごとく裏目に出過ぎてなんだか可哀想……
パトリックさん、確かに時代錯誤とは言え、自分たちの誇りを信じて、迫害された過去を決して忘れない。
やり方は間違ったかもしれないけど、同胞を大事に想う気持ちは本物なのかもしれない。
引き返せなくなっているだけなのかもしれない……と。
だから続編のあれに繋がるのかなぁ……と、少し思いました。
一方、パトリック・ザラに有利なように改竄された情報とはいえ、ザフト側からしたら概ね事実であるエターナル、ジャスティスが奪取されたことを知らせれて衝撃を受けるイザーク。
アスランが自分の父に歯向かってザフトを裏切った?
あの真面目なアスランが?
イザークはアスランに対してライバル心を越えた別の何か、もしかしたら友情のようなものを感じていたのかもしれない。
アスランはそんなイザークの気持ちも裏切ったのだ。
この辺のイザークは本当に可哀想というか4人目の主人公になれるのではなかろうか?というぐらい哀しき運命を背負っているような感じます。
疑心を抱き、以前のように信用出来なくなった上官の元で、友に等しいアスランや友であるディアッカと戦わねばならず、また、″アイドル″ラクス・クラインのファンでもあり、フリーダムのパイロットに対して少なからず敬意を持っている。
この時点でのイザークは大体こんな感じです。
関さん、僕はイザーク好きですよ!
大人になってから改めて見ると余計好きになりましたよ!!
1番ではないけど←
アークエンジェルの姉妹艦、同型艦ということで艦長を任されているナタルは、アークエンジェルと戦いたくないという想いから投降するよう説得するのでした。
イザークと戦いたくない一心で通信をするディアッカ。
それに伴い、友に裏切られたのでは?と憤るイザーク。
それぞれの心境が読んでて切ないです。
ディアッカを諭そうとしたイザークはディアッカ、アスラン、ラクスの真意を聞いて愕然とします。
友であるディアッカを撃ちたくない。
出来ればアスランとも戦いたくない。
あいつらは敵なのか……?
イザークの葛藤は続きますが、2人が戦う事を止め、自分までが止めたら誰がプラントを守るのか……と自分を奮起させるのでした。
イザークはイザークで格好いいです。立派です。
そして、キラの出世の秘密とラウ・ル・クルーゼの正体とムウとの関係が一気に明かされます。
この辺は初見だとまさに怒涛の展開だと思います。
アスラン、ディアッカはかつて自分達が搭乗したヴェルサリスを墜とすことになり、もう後戻りは出来ないと思うアスラン。
この人マジか……ってぐらいちょっとあれだったりするけどアスランだから仕方ないね!
イザークはその事実に怒ると同時にこの事態を受けてもなおも冷静なラウ・ル・クルーゼに改めて疑念を感じます。
[騙されてるのはディアッカか、それとも自分か?]
一方、捕虜の返還として戦闘の最中に宇宙空間に放り出されたフレイ。
何とか通信を開いて自分の存在を告げると、アークエンジェルの面々(ナタル含む)は衝撃を受ける。
ただの捕虜としか情報がなかった間は[敵の罠の可能性]を考慮して乗り気じゃなかったナタルがカラミティに回収を命じる。
一方のキラは突然のフレイの登場に驚いて動きを止めて攻撃を直に受けてしまいます。
なおも敵の存在が目に入らずただひたすらカラミティを追うなど完全に我を失うキラ。
メインカメラ(頭部)を吹き飛ばされてもなお追おうとするキラにアスランは「そんな状態で敵の本陣に突っ込むつもりか」と何とか制止させるのでした。
エターナルに戻るなり倒れるキラ。
身的外傷はないようだが……
ムウはそんなキラを無理もないと思っていた。
いろんなことがありすぎだ……と。
そして、自分も恋人の言葉に励まされ、それでもラウに対して責任や義務があると思っていた。
そうか、ラウはムウより3つ4つ年下だったか……ややこしい関係だ。
そして、イザークは隊長として新兵を率いていました。
お世辞にもコミュニケーション能力が高いとは言えないイザークでしたが、相変わらずの部分がありました。
でも、自分で短気を反省したり、不器用なイザークなりに不安がってる新兵の緊張をほぐしていたり、成長したな、イザーク……と、何故か親のような気分で見てました。
あ、ちなみにイザークのお母さんは議会でラウとちょっとバチバチしてる感じです。
一方的に嫌ってる感じ?
一方、フレイから『鍵』を受け取ったアズラエルは会議で早々に戦争を終わらせようと舵取りをします。
ディスクの中身はフリーダムとジャスティスのデータでした。
とうとうブルーコスモスにNジャマーキャンセラーを手に入れたのです……
それはさておき、復讐の鬼と化したラウ・ル・クルーゼいいですよね!
演出的意味で仮面を取ったラウ。
これまで以上に暗躍しているラウ。
うん、すごくいい。
そして、戦争を終わらせる為に再び核を撃った地球軍。
しかし、その核はプラントには直撃せず、ただプラント側を怒らせて向こうが新兵器を使うきっかけを作ってしまった。
核を持った地球軍からプラント側を守る為に前線で奮戦していたフリーダムとジャスティスもあわやプラント側の『ジェネシス』に撃たれかける場所にいたものの、イザークの『下がれ!』という声で助かります。
そして形勢は逆転し、戦意を失った地球軍に対してザフトが無慈悲に攻撃を仕掛ける。
キラとアスランは先ほど守った兵士から武装を剥ぎ取らねばならなかった……
そんな中、キラは先刻のラウ・ル・クルーゼの言葉を思い出していた。
『ならば存分に殺しあうがいい!それが望みなら!』
悪いのは兵器なのかそれを押す指なのか。
どちらかが滅びるまで戦いを止めないのが人類なのか……
最終局面はこのテーマが問われる展開になっています。
大きな力に勝つ為にはより大きな力で対抗しなければこちらがやられる!
お互いがそう思い、憎しみ合い、戦禍は広がって行くのか……
と、読みながら思いました。
正義とか悪とか、正しいとか間違ってるとか、そんな単純な話ではない……というのはひしひしと伝わってきます。
それこそ、ナタル、イザークのそれぞれの心理描写を見れば……それでもやらなきゃやられる。
それが戦争なのか……と。
パトリック自身はと言いますと、幾度となく裏切られ続けたことで一瞬は『自分が間違っている』可能性を自分に示唆しましたが、すぐに払拭し、『自分は邪魔されているだけだ』と言い聞かせます。
パトリック・ザラはラウ・ル・クルーゼに巧みに利用されて底無しの泥沼でもがいているに過ぎないんですね……
物語はいよいよクライマックスになります。
最後の戦いの直前、主要人物達の『愛』が少し描かれています。
イザークとエザベラ(イザークの母親)、キラとラクス、アスランとカガリ、ディアッカとミリアリア、マリューとムウ。
それに加えて、ラウとの会話からパトリックがアスランへの愛情が0ではないことが何となく伺えます。
ここのシーン(キラとラクスの会話)は前巻の解説で田中理恵さんがおっしゃってたところでもありますね、いろんな角度から見ることが出来ます。
そして最終局面、ラウ・ル・クルーゼと言えばこれ!なセリフが次々と出てきます。
ラウは舌戦のほうが得意そうですね。
『これが人の夢!人の望み!――人の業!』
『他者より強く……他者より先へ……他者より上へ――!競い、ねたみ、憎んで、その身を喰いあう!』
ラウとムウはコーディネーターではないけれど、フラガ家の血筋の空間認識能力でコーディネーターであるキラと同等の反射神経を見せている描写があります。
さて、今まで各巻(4巻まで)の解説を含めて読んできて、ここのラクスの心の声はこのガンダムSEEDという作品の『テーマ』そのものだと感じました。
長いですが、そのまま引用してみます。
『――わたくしたち人は……
――おそらくは、戦わなくともよかったはずの存在……。』
『何十、何百の命が、彼女の周囲で真空の中に散っていく。彼女は自身に問いかける。いつまでも答えの出ない問いを。』
『――なのに、戦ってしまった者たち……。
命を守るために命を散らす矛盾。』
『ささいな違いにこだわり、ともに歩むことはできぬとその未来を切り捨て、相手の明日を潰すことで自らの明日を確保しようと望む。
だが彼らの間にどれほどの差異があろう。泣き笑い、憎しみ殺しあう、その行動に何の違いもないというのに。』
『なんのために――?
守るために?何を――?』
『憎みあい殺しあう、この果てにある未来、それは――?』
『なぜ?なぜ、人は――?
こうしている間にも、人の手が造り出したあまりに大きな力は、地球に向けて動きはじめている。』
『幾億の無辜の民に、彼らの同胞に、この争いになんの寄与もせず、あらゆる罪をいまだ知らず、星の下で眠り続ける幼子に向けて。』
『果たしてこの戦いの歴史に、終わりはあるのか――?
それとも――これらすべてを終わらせるためには、たったひとつの手段しかないのか?
ヒトという種を……すべて滅ぼすという……?』
『――ああ、神よ……。
彼らは自分が何をしているか、わかっていないのです……。』
抜き出してて哀しくなりました。
ヒトは何故……か、難しい問題ですよね。
そしてもうひとつ。
ガンダムSEEDの印象的なシーン
ムウ・ラ・フラガの最期
当時アニメで見たときは唖然として泣きそうになったものです。
成長して見たHDリマスター版ガンダムSEEDもやはり辛いものがありました。
しかし、小説版は俯瞰で見れていたせいなのか、頭の中は冷静でアニメとは違った印象を受けました。
ムウの心情が書かれているのも大きいのかもしれません。
片足、片腕を失ったストライクがアンチシールドを掲げて真っ向から″ローエングリン″ を受け止める。
この映像が視覚的に物凄い影響力を秘めてるのは言うまでもありませんので、そこはアニメ版ならではと言えますね!
『……やっぱ俺って、不可能を可能に――』
言いきれないところがいいんです、この演出好きなんです。
ムウは最期に何を思ったのか……
マリューを案じ、ラウを憐れみ、キラを案じ……と、恨み言はなさそうなムウさん。
オルガは自分が死んだことに気付かなかった。(それぐらいあっさり)
アズラエルは最後の最後まで醜く足掻き続けた。(それもまた一興)
そんな中、ムウさんの最期はとても美しく思えます。
にしても、超直感でこの先の未来をほぼ見通していたっていうのは凄いを通り越して人類を超越している……としか言えません。
コーディネーターよりも強化人間よりもフラガ家がヤバい気が……
また、ほぼ同時進行で対比として扱われていたドミニオン内部のナタル。
彼女は結果的に軍人としての自分の決断を少しの後悔の念と共にアズラエルと心中することを決意するのですが……
そんな彼女の死に際も個人的には美しく感じました。
最期に彼女が思ったのはアークエンジェルにいた自分。
『頼りなく、そしてどこまでも正しかった艦長を助けることのできた自分を、誇りに思った。』
今まではナタルに着目してガンダムSEEDを見たことなかったので考えなかったことですが、″アークエンジェル″の″ローエングリン″ が撃たれた時、
「あの優しい女が、よくためらわなかった」
と内心でマリューを誉めるように微笑む描写から察するに、ムウの最期の件とかマリューとムウの関係は知らないんだろうなぁ~と思いました。
いや、当たり前のことなんでしょうが……
自分がこれまで、いかにアークエンジェル側もしくはザフト側でしかガンダムSEEDを見ていなかったのかが露呈されてしまった……反省です。
考えさせられるラクスのセリフ再び
『――核を撃たれ……その痛みと悲しみを知るわたくしたちが、それでも同じことをしようというのですか!。』
『撃てば癒されるのですか!同じように、罪なき人々や子供を!?――これが正義と!?』
うん……唸ったね、これは思わず唸りました。
この作品を企画したり、話を作るのに携わった皆さん凄いなって心から思います。
このセリフ単体だけなら比較的思いつかれると思うんです。
ただ、このセリフが発せられるまでに至った経緯というか描き方が素晴らしくて言葉の印象をより良く感じられます。
そしてラウは自分の手でムウを討てなかったことに虚しさを感じていました。
ここまでほぼ彼の描く筋書き通りに運び、人類そのものへの復讐はいよいよ佳境へと向かっていました。
キラとラウ。
実力は拮抗しているかキラのほうがやや上に感じます。(個人的に)
しかし、ラウは巧みな口撃でもキラを翻弄させるのでした。
同時進行で行われた戦闘がありました。
その直前にクロトは既に思考能力を完全に失ってもはや人間ではない……という風に描かれていました。
そんなクロトが憂さ晴らしに狙ったのは見覚えのあった機体とずっと追ってきた白い艦。
それに対してイザークはディアッカを助けようとデュエルを駆ります。
バルカン砲しか残されていない中、バスターの砲身を半ば強引に(とはいえ機体を重ねて使っているので無理やり奪ってはいない)使ってレイダーを倒します。
イザーク曰く、『許せない』という個人的感情を差し置いてこの戦いを止めなくてはいけない……
イザークの成長が凄い。
フレイの最期は哀しかったです。
この小説を読みながらフレイに感情移入していたからというのもありますが、フレイはガンダム世界特有の精神体になってキラの前に現れるのですが、恐らくキラにはフレイの声が聞こえていないんですよね……怒りでラウに挑む的な感じにしかなってないのが哀しかったです。
『――泣かないで……守るから。』
『――本当の私の想いが……あなたを守るから――。』
ストライクがイージスに討たれた時、フレイはサイに、「君は本当にキラが好きだっただろう」と言われていたのを思い出しました。
パトリック・ザラの最期はフレイとは違う意味で哀しかったです。
結果的には1人息子であるアスランに看取られる形になるのですが、彼は最後まで息子を見ませんでした。
ただひたすら憎み、復讐の事だけを考えていました。
聡明なはずのコーディネーターで、議長にまでなった人がこんなに狂うなんて……それほど妻を愛していたんだと思います。
それがパトリック・ザラという人なんだと思います。アスランには酷だけど。
カガリの名言(格言)
生きることこそ、戦いだ
深い。
確かに、もしかしたらこれも戦争特有の、軍人的思想から来るものかもしれませんが、責任を取って死を選ぶ。共に滅びる。みたいな決断を下すキャラクターはSEEDの世界観に多かったかもしれません。
それこそ、カガリの父親であるウズミさんもそちら側でした。
オーブこそ我が命……それを最後まで貫いてオーブと共に散りました。
だからここのカガリは妙に説得力あるのかもな……なんてこれを書きながら思いました。
さて、ラウ・ル・クルーゼの最期ですが……あっさりしてましたねw
あっさりし過ぎてむしろ清々しい!
最後まで舌戦でキラを追い込むとこまではラウ節全開でしたけどね!
でも、恐らくこれはそういう演出だと思われます。
確かにラウ・ル・クルーゼに辞世の句は似合わない。
ラウの最期の心情を描かないのは読書の想像に委ねるということなのかな?って思います。
あとがきで後藤リウさんがそれぞれの解釈のガンダムSEEDとおっしゃってるのでそういうことかな?って。
なので、これは僕なりの解釈です。
ラウ・ル・クルーゼはこれまでも自分の命と人類の命運を量りに賭けた賭事のような勝負を密かにずっとしていました。
そして勝ち続けて来ました。
なのできっと、ラウが思い描いた理想のラストは自分の人生そのものである『人類への復讐』に自分の命をベットしてムウ・ラ・フラガとの死闘を繰り広げて人類の命運を決めるというものだったのかな? と。
キラは唯一の代用品というか、自分と同じ、人類の夢と希望を託されて身勝手に生み出された存在。ということでムウ亡き今は最後の相手に相応しいと判断したのかな?って思います。
当然ラウは負けるつもりはなかったと思いますが、個人的にはキラに討たれる瞬間、笑ったのではないかな?って思います。
一時はムウに討たれるのならそれもまた悪くないと思っていたラウです。
キラに討たれるのならそれもまた……と思っていても不思議ではありません。
そしてもうひとつ……フラガ家の超直感。
死の間際に未来を読み取った可能性は高いと思います。
どこまで視えるかは分かりませんが、DESTINYで起こる惨劇をラウが見透し、不敵な笑みを浮かべながら散って行った可能性は十分に有り得ると思います。
・まとめ
最後の解説はアニメ版ガンダムSEEDの監督の福田己津央さんです。
さすがは監督……ガンダムSEEDという作品に影響を与えた事件のことや、ガンダムSEEDの命題はそのまま現実の人類の命題であるといった旨の話など、とにかく深い。
僕自身もたまに思ってることだったりもしたので15年越しとかにはなりますが、読んで良かったです。
最初に最後まで読んだ読者に対してありがとう。から入ってますが、こちらこそありがとうございました。
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ここまで読んでくれた方々、ありがとうございました!感謝です(^人^)
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